整体副業講座【第2期】で学んでいる受講生の一人が、第2回講義を受講した感想を述べてくれました。本人の許諾を得ましたので、全文を公開させていただきます(一部加筆訂正をしています)。
彼は、製薬会社に勤務して新薬合成の研究をした後に、薬剤師として医療の世界で働いて来ました。現場で患者さんたちと向き合う中で、本当に大切なこと、必要なことは何なのかを問い続ける中で、代替療法に興味をもち、レイキを習得しました。さらなる追究をする中で、整体に出会い、自分なりのあり方を考える目的で、本講座を受講しています。
真摯に人や健康に向き合って来たからこその感想だと思います。ぜひお読みください。
今回の講義で改めて印象が残ったのは、「誰が治すのか?」ということでした。
生命は人工的につくりだせるようなレベルのものではなく、それを機械的要素還元的な考え方(人間を機械のような部品の寄せ集めのような考え方)で治そうとすることに大きな問題があるだと思います。
生命とは常に変化しながらある一定の状態に保たれるようにバランスがとられており(恒常性があり)、外部の環境とも切り離すことができず、エネルギーのやり取りを行なわなければ、生命を維持することができない存在であります。このバランスをとろうとする過程(治癒過程)で、現在では病気と捉えられる様々な症状が生じてしまい、それが閾値を超えた大きなものとなった場合には、生命を維持することができなくなってしまいます(死の危険性が生じてしまいます)。
現代の医学はこの死の危険性を回避することを最優先に考え、外科的処置や強い作用の薬物を開発して、とりあえず人間を機械的に修復して、生命を維持することでは大きな成果を上げてきました。そして今、再生医療として人間の体の部品を新品に取り換える試みがされています。
そのために、人間の心という捉えることが難しい部分は、切り離してしまいました。そして病気には必ず器質的な異常が存在すると考え、その異常な部分を検査で探し出して修復することに執着しています。本来生命が持っているはずの自然治癒力というものを無視し、生命の恒常性を無視して、機械を修復するかのように、異常があると診断した部分のみにアプローチを行い続けています。
感染症など命の危険性が生じた時だけ、短期的に強い作用の薬を服用して、生命が自分でバランスをとって治癒していける範囲まで戻してあげるような薬物療法の使い方をしていた頃はよかったのだと思います。それが生活習慣病の治療薬として、強い作用の薬をずっと飲み続けるような治療が行われて、薬に対する害を耳にすることが多くなってきました。
しかし副作用という言葉の意味を誤解されている方が多いのも現実です。副作用のない薬は存在しない(副作用のない薬は効果がない薬です)。薬の薬理作用の部分で、自分に都合がよい有益な作用が効果となり、自分に都合が悪いものが有害事象となり副作用となります。さらに言えば、効果がない薬でも副作用はたくさん発生します。臨床試験でプラセボ(疑似薬)を投与した患者でも、たくさん有害事象(副作用)が報告されます。つまり人間という生き物の心の部分によって、プラシーボ効果といわれる有益な効果を生じる場合もあり、また逆にノーシーボというマイナスの作用が働く場合もあるということです。
本来、薬の作用をうまくコントロールして、有益な作用をできるだけ多くし、有害事象をできるだけ少なくするようにするのが専門家の仕事ですが、どんどん作用が強い薬が開発されて、コントロールができないのが現状です。つまり薬の使い方が間違っているのです。
例えば、自動車というテクノロジーが生まれて、短時間で長距離を移動できるようになり、私達の生活は非常に便利になりました。ところが運動不足による生活習慣病が増え、交通事故による死者が毎年数万人にも及んでおり、戦争兵器を除けば一番死者をだしている機械ということになります。では自動車が悪かというとそうではなく、使い方の問題だと思います。
薬を飲みたくないから、代替療法を選択したり、高額な健康食品やサプリメントを飲み続ける方もいますが、結局それは対症療法を行っているにすぎないのです。漢方薬なら副作用がない? → いえ、本当は当然ありますし、ただ作用がマイルドなので激しいものがでにくいという理解です。また誤治といって、適さない薬を飲んでいる方も多いです。健康食品やサプリメントなら安心? → 結局、それを販売している会社や推奨している人物を信じることでのプラシーボ効果が大部分で、判断するデータがないのが事実です。
医薬品の優れている点は臨床試験のデータがあることです。もっと言えばナガティブデータまで公開されている点です。どのような患者にどうような条件下で、どのように飲ませて、どのような効果があったのか?それだけでなく、そのうち何人は途中で治療をやめて、その原因は何なのか?何人の人に有害事象があって、それはどのような症状だったのか?そしてプラセボ(疑似薬)でどれくらいの効果があり、どれくらい有害事象がでているか?そういう判断材料があることが素晴らしいと思っています。
もともと持っている自然治癒力を引き出すことを考えた時に、現代医学ではそのアプローチ方法がありません。病気の定義はあるけど、健康の定義がないのです。健康で自然治癒力が働く状態という、当たり前の状態が定義されていないのです。どのような状態なら、自然治癒力を引き出せるのか?それがわからずして、それをサポートなどできないのです。
話を聴いてあげるだけで、そっと寄り添うだけで、そっとやさしく触れるだけで、一人では自然治癒力が働かなかった状態に、リソースを与えることができる。そしてそこに自然治癒力が発揮される状態の指標となるものがあれば、アプローチが非常に行いやすくなると思います。気やエネルギーというような目に見えないものより、目に見える肉体的な指標となるものがあったほうが、よりアプローチが行いやすい。そういう意味では、筋肉の慢性疲労(過緊張)をゆるめるという指標は重要となってくると思います。
ただプロとして対価をいただいて整体を行う場合に、どうしても主訴を早く治してあげたいという気持ちが大きくなってしまい、対症療法的なアプローチに陥りやすくなってしまいます。自分自身の思想をしっかりと持たないといけませんね。そして、思想があれば、道具は整体でなくてもよいのだと思いました。
現代医学が非科学的という理由で扱いにくくて捨ててしまったもの、患者自身に治す力があると思わせること(自分は治ると思わせること)、そしてそれによって行動変容を起こさせること、それを患者との関わり方で積極的に行っていくこと、そのための窓口として、整体という道具を使うということ。
以上、長文になりましたが、自分の感じていることを文章にしてみました。
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