いま、あなたは次のように感じていませんか。
- 今の仕事や会社が自分に合わず、毎日が憂鬱だ。
- 収入が頭打ち、もしくは右肩下がりで、将来に大きな不安を感じる。
- 通勤ラッシュや複雑な人間関係に、疲れ切っている。
- リストラの脅威は、人ごとではない。
- 独立起業して、自分らしく生きたいと思っている。
すべてに「NO!」と言えるなら、先を読む必要はありません。
このページを閉じてくださって、けっこうです。
しかし、もしひとつでも当てはまるなら、私に5分ほどお時間をいただけませんか。
特に、あなたが、
- 癒しや健康の仕事に、興味がある。
- 病気や痛みで苦しんでいる人に寄り添い、その支えとなりたい。
- 人に喜ばれ、しかも大きな収入を得たい。
と考えるなら…
あなたの人生が大きく変わる、千載一遇のチャンスが、ここにあるかも知れません。
ぜひ、このページを最後まで読んでみてください。
みなさん、はじめまして。
私は、西田 聡(にしださとし)と申します。
現在、大阪府枚方市という町で、整体院を自営しています。
おそらく、みなさんがイメージされるような、一般的な整体院ではありません。
病院で治らない、原因不明の症状で悩む方が大勢訪れる整体院です。
整体師になる前は、ごく平凡なサラリーマンでした。
24年間、同じ会社に勤務していました。
47歳の時、突如、会社を辞め、整体師に転身しました。
サラリーマンから、起業家へ。
依存し、束縛される生活から、自立し、自由を求める生活へ。
受動的人間から、主体的人間へ。
与えられる立場から、与える立場へ。
流される生き方から、流れを作り出す生き方へ。
私は、大きく人生を変えたのです。
毎日、毎瞬、自分が大好きなことをする。
大きな夢と希望をもって生きる。
自分が心から信じ、心から価値があると思う仕事に取り組む。
情熱をもって、無限の可能性に挑戦する。
お客さまに喜ばれるために、日々、研究と鍛錬を重ねる。
困難を乗り越えるたびに、大きく成長する。
常に最高を目指し、最善を尽くす。
同じ地平を目指す人たちと、業界や国境を越えて、手を携える。
誰にも命令されず、自分の志と想いと良心に忠実に判断し、選択し、行動する。
最高に居心地のいい空間で、仕事をする。
通勤のストレス、人間関係のストレスは、ほぼゼロ。
感謝の対価としてお金をいただき、サラリーマン時代を大きく超える収入を得る。
おかげさまで、私は、かつて夢に描いたような、理想的な日々を過ごしています。
苦労や困難は絶えませんが、毎日が楽しく、幸せでなりません。
これから、そんな私の経験をお話ししたいと思います。
あなたが真剣に人生を変えたいと願っているなら、きっと参考になると思います。
サラリーマン時代、私が勤務していたのは、大手一流企業でした。
当時の税込み年収は、約1,000万円。
決して高給取りではありませんが、低収入でもなかったと思います。
29歳で結婚し、妻と子どもが二人おりました。
34歳の時に、自分の両親と同居するために、二世帯住宅を建てました。
仕事に対しても、一定以上の誇りとやりがいを持ち、真面目に取り組んでいました。
すべてにおいて満たされ、周囲からは幸せそうに見えたことでしょう。
しかし、私は幸せではありませんでした。
将来に夢も希望も持てず、人生に絶望し、死にたいとさえ思っていました。
それは、なぜだと思いますか?
仕事がきつかったから?
人間関係に悩んでいたから?
体調が悪かったから?
いずれも、違います。
私は、仕事にも、人間関係にも、健康にも恵まれていました。
なのに、死にたくなるくらい、心を病んだのはなぜでしょうか。
それは、
「本当の自分を生きていなかった」
からです。
自分が心から価値があると信じること。
自分が本当にやりたいこと。
自分がこの上なく喜びを感じること。
当時の仕事は、いずれもあてはまりませんでした。
だからと言って、決して手を抜いたわけでも、嫌々やっていたわけでもありません。
真面目に、一生懸命取り組んでいました。
しかし、やればやるほど、虚しくなる。
どう考えても、自分を誤魔化し、欺き、偽っているとしか思えないからです。
それが苦しくて、苦しくてなりませんでした。
大量生産と大量消費を前提とし、拡大と発展を是とする経済活動。
何の疑いも持たず、それに従事する。
たとえ疑問を持っても「仕方がない」「こんなもんだ」とあきらめる。
そのことに、私はいつしか大きな違和感を感じるようになっていました。
もっと早く。
もっとたくさん。
もっと便利に。
もっと快適に。
もっと効率よく。
もっと、もっと、もっと・・・
人間中心の文明。
止まることのない拡大と発展の歯車。
企業間競争は、激化する一方。
増え続ける廃棄物。
進む一方の自然破壊と環境汚染。
人間の思考力を奪い、愚劣化させる教育。
優しさや思いやりが失われ、殺伐とする社会。
これらを助長する活動に、定年まで従事し続けねばならない。
それを思うと、暗澹たる気持ちになりました。
さらに、定年後に何をするのか。
残りの20〜30年の人生、どうやって生きていくのか。
考えると、吐き気がしました。
当時、大阪市内の会社へ、電車で通勤していました。
行き帰りの車内は、混雑していました。
特に朝の通勤ラッシュは凄まじく、会社へ着くころにはヘトヘトに疲れていました。
なぜ大量の人間が一斉に通勤するのか。
来る日も来る日も、この苦しみを我慢せねばならないのか。
会社へ来る意味は、何なのか。
もっと違う働き方があるのではないか。
乗客たちはみな、とても疲れているように見えました。
居眠りしている人。
食い入るように、新聞や携帯電話の画面を眺めている人。
目を閉じて、じっと耐えている人。
幸せそうな人は、ほとんど見かけませんでした。
家庭のため、生活のためには仕方がないと、諦めているのでしょうか。
その時に、思いました。
「まるで囚人か、奴隷だ・・・」
私たちは、社会システムという、透明で頑強な檻の中に閉じ込められている。
そして、常識や通念や慣習という、目に見えない鎖で縛られている。
そのことに、気付いたのです。
このまま、囚人や奴隷のような生活に甘んじるのか。
小さな幸せに満足し、暗く、虚しい気持ちで日々を過ごし、ただ老いていくしかないのか。
一度しかない自分の人生、それでいいのか。
何とかしなければと焦るが、何もできない。
そんな自分が不甲斐無く、情けなく、ますます生きているのが嫌になりました。
この群れから、抜け出たい。
しかし、他の企業に転職したところで、サラリーマンである以上、何も変わらない。
ならば、起業して、自営するしかない。
では、どうやって?
いったい、何をして食べていくのか?
それを問うた時、自分には、売り物になる能力が何もないことに気付きました。
愕然としました。
人生半ばを過ぎ、間も無く50歳に手が届く。
私は、四半世紀近くも仕事していながら、結局のところ、何も積み上げてこなかった・・・
これまで目を反らし続けていたこの事実は、私の心の闇をますます深くしました。
そんな折、とても辛いできごとがありました。
当時の上司から呼び出されて、次のように問われたのです。
「西田さん、あなたの看板は何なの?」
痛い部分に、ナイフをぐさりと突き刺された。
そんな感じでした。
さらに、上司の厳しい詰問は続きます。
「看板には何と書いてあるの?あなたはいったい何をする人なの?何ができるの?これからどうするの?」
その場から、逃げ出したくなりました。
心臓がドキドキし、顔が真っ赤になり、目を伏せ、何も言えなくなりました。
もちろん、上司は私のことを思って言ってくださったのです。
それは、重々承知していました。
でも、本当に辛かったし、どうしようもないほど落ち込みました。
当時の私は、虚しくて、本気で仕事に取り組めませんでした。
生来真面目であるので、言われたことはそつなくこなしていたつもりです。
しかし、情熱をもって仕事に取り組んでいないので、結果が出ない。
上司はそれを見抜き、このままではこの先やっていけない、そう警告してくれたのです。
自分の無能さ、不甲斐なさに、心底嫌気がさしました。
ついには、うつになりました。
自分が情けなくて、情けなくて、なりませんでした。
特に、二人の息子に申し訳なく思いました。
いずれ男として社会に出る彼らの範になれないからです。
「情けない父親で本当にごめん」と、隠れて一人で泣くこともしばしばでした。
そんな状態が、何年も続きました。
しかし、辛い中にも、自分の大好きなことを見つけ、その研究をするようになりました。
少し、光が見えてきました。
大好きなこと。
それは、心身の健康に関することでした。
30代半ばで開始した、合氣道稽古。
それが発端となり、古武術をルーツとする身体操作に興味を持つようになりました。
さらには、さまざまな健康法や精神世界に興味の対象が広がりました。
その過程で、少しずつ心の健康を取り戻して行きました。
一方で、社会には、いかに病んでいる人が多いかを実感していました。
日本では、年間3万人もの人が自殺していることを知りました。
その時に、強く思ったことがあります。
企業の最も重要なリソースとソリューションは、従業員の心身の健康だということ。
そして、心身の健康は、最も重要な社会基盤でもあるということ。
そして、
「心身の健康に寄与する仕事がしたい」
そう思うようになりました。
しかし、当時の勤務先には、そんな仕事ができる部署はありませんでした。
だったら、作ればいい。
人間、何か目標ができると、強くなれるものです。
仕事の状況は変わりませんでしたが、少しずつ前向きになることができました。
そして、2008年の正月。
転機となる出来事が、起こりました。
合氣道稽古仲間が、新年の挨拶メールをくれました。
その中にあった彼の意外な一言に、私は強い衝撃を受けました。
「僕は今年、整体で独立開業します」
え!あの大人しそうな彼が!?
詳しいことを教えてくれと、すぐに返信をしました。
すると、
- 昨年、ある整体技術を学んだ
- そっと触れたり、ゆらゆら揺らす、変わった技術だ
- 早速、職場(老人介護)の仕事でその技術を使ってみた
- 拘縮や痛みが軽減されるので、とても驚いた
- 今年、上位コースへ進学し、整体で独立開業するつもりだ
という返信がありました。
整体?独立開業?
まったくの素人に、そんなことが可能なのか?
そこで、ふと思いました。
「もしかしたら、自分が求める道があるかも知れない・・・」
なぜか、気持ちが高揚しました。
かつてなかったくらい、ワクワクと胸がときめくのです。
友人が技術を学んだ整体学校を教えてもらいました。
そして、その整体学校のホームページを、隅から隅まで読みました。
私は、興奮を抑えることができませんでした。
脱サラや転職をして、整体師として成功している事例が数多く掲載されていたのです。
それが嘘ではないことは、書かれた文章や動画から伝わってきました。
1月末に、京都で技術セミナーが開講されることが、わかりました。
ベテランのプロたちでさえ注目する特別な整体技術が、たった二日間で学べるというのです。
「人生を変えるチャンスだ!」
そう直感しました。
しかし、受講料を知って、驚きました。
たった二日間のセミナーなのに、受講料はなんと約50万円でした。
その1/10でも、当時の私には高額でした。
一瞬、躊躇しましたが、すぐに「迷っている場合ではない」と思い直しました。
セミナー案内のページに書かれた次の語句が、背中を押したのです。
成功の反対は、失敗ではない。
成功の反対は、行動しないことである。
幸運の女神には、前髪しかないと言われています。
今行動せず、このチャンスを逃したら、自分は一生このままかも知れない。
そう思ったのです。
家族に内緒で、会社に借り入れをして50万円を用立て、受講を申し込みました。
大金ゆえ、受講料を振り込む時に、身体がガタガタ震えたのを覚えています。
2008年1月末の技術セミナーで、私は後に師匠となる人物に出逢いました。
師匠は、私にこう言いました。
「整体で、日本を変えよう」
師匠は、これまでの概念を破る、まったく新しい整体のあり方を示してくれました。
それは、明るい希望と、無限の可能性に満ちていました。
やっと自分の道を見つけた・・・
感動で魂が震えるのが、わかりました。
涙が、止まりませんでした。
これまで考えもしなかった、整体という仕事。
自分が長い間探し求めていた道は、意外なところにありました。
人生とは、本当にわからないものです。
二日間の技術セミナーが終わった時、私はすでにこの道を進む決断をしていました。
その時のインタビュー動画が、残っています。
以来、無我夢中で行動しました。
50歳手前で脱サラし、独立開業するのは、本当にたいへんでした。
経営を軌道にのせるのは、さらにたいへんでした。
自分の人生においてかつてない苦労、困難、挫折、絶望を経験しました。
もうダメだと思ったことも、一度や二度ではありません。
しかし、夢と希望を持ち、誠心誠意、取り組み続ければ、道は開けていくものです。
どんなに窮地に立っても、思ってもいなかった方法で救われる。
悩み、苦しみ、そして不思議な経験を何度もしながら、自分自身が大きく成長できたと思います。
強く思い、行動すれば必ずできる!
何歳からでも、人生は大きく変えることができる!
自分らしく、幸せに生きることができる!
それを知りました。
そんな私にできたのだから、必ず誰にでもできる。
そう確信しています。
無数にある人生の岐路において、あえて険しい道を選ぶこと。
それが、自分を大きく成長させてくれることを身をもって実感しました。
この道を選び、自分を大きく成長させ、幸せに生きる人間を増やしたい。
そういう想いで、整体法講座の運営を開始しました。
これまでに70名以上に指導し、約50名を独立開業に導いて参りました。
私と同じように、人生を大きく変えた門下生を輩出し続けています。
その一部を、ご紹介いたします。