合氣道稽古の先に、脱サラし、整体で生きていく道を見つけた

私は会社員時代、整体にまったく興味がなかった。
そんな私が、なぜ整体師になったのか。
本日は、そのきっかけのひとつをお話ししたい。
参考になれば、幸いである。

合氣道との出逢い

サラリーマンの頃、30代半ばで合氣道の稽古を開始した。

運動するのは、10年ぶり以上。
稽古が週一回だったこともあり、遅々として上達しなかった。

特に難儀したのが、受身である。
うまくできず、腰や肩を強打し、痛みをこらえる日々。
何度もやめようと思った。

しかし、継続は力なり。
5年くらいかかったが、黒帯を締めることができた。

そうなると、俄然面白くなる。

合氣道の魅力

なぜ小柄で非力な老人が、屈強な若者たちをいとも簡単に無力化してしまえるのか。
昔日の武芸者たちは、いかなる身体能力を備えていたのか。
合氣道開祖が遺した「合氣とは愛なり」という言葉の真意は、どこにあるのか。

氣と心身統一。
呼吸、姿勢、身体操作の極意。
心身のゆるみ。

そのようなことを、研究するようになった。
その頃に出逢ったのが、今も大きな影響を受け続けている、現代武術界の偉人たちである。
名前をあげると、高岡英夫先生、宇城憲治先生、甲野善紀先生である。

合氣道から整体へ

そのうち、近代整体の父と言われる野口晴哉先生に出逢った。
野口先生は、合氣道開祖である植芝盛平と親交があり、武術においても傑出した力量を発揮したと伝えられていることを知った。

中国由来でも、アメリカ由来でもない。
日本古来より伝えられる心身操作の真髄こそ、真の整体のルーツではないか。
そこに、大いなる夢と希望を発見したのである。

だからだろうか。
私が身につけた整体術の存在を教えてくれたのは、合氣道仲間であった。
彼も、この技術に合氣道と相通じるものを感じていたのだろう。

好きなことに没頭すること

いずれにせよ、自分が大好きなこと、強く興味を持つもの。
そこに、自分が生きていく道があると思う。

だから、自分の進路についてあれこれ考えるよりも、自分が大好きなことに没頭すること。
直感に素直に従い、行動を続けること。
それが、天職を見つけ、運命を好転させる鍵であると私は思う。

「好きなことを仕事にすることは出来ない」

それは、悪しき洗脳である。
一度しかない大切な自分の人生、好きなことをして幸せに生きていこう!

生活と仕事に生かす整体を学びませんか?

整体院の現場で、強く感じることがあります。それは、「多くの日本人、そして社会が“癒し”を必要としている」ということです。整体とは、ゆるし、ゆるめ、ゆだねること。日本人の自然観と精神性が息づく癒しの術を、あなたも学んでみませんか?

西田 聡

1960年、大阪生まれ。2008年、47歳の時に、突如、24年間勤務した会社を辞し、整体師に転身することを決意。多額の住宅ローンを抱え、当時高一と中二、二人の息子がいる身で脱サラし、未経験の仕事で起業するなど狂気の沙汰と、周囲の誰もが猛反対する。しかし、耳を貸さず、整体院の独立開業を断行。案の定、失敗、挫折、絶望の連続で、辛酸をなめ尽くすが、ぎりぎりのところで踏み止まる。修得した整体手技療法を基盤に、合氣道修行で得た心身修養の精髄を加味した「心整体法」を着想。病院で治らない慢性疾患や自律神経失調症専門の整体院という独自路線を歩み、自力で整体院経営を軌道にのせる。組織に依存せず、束縛されず、自分の良心や信念をいっさい曲げることなく、己の身一つでサラリーマン時代を大きく超える収入が得られることを証明する。その経験を生かし、脱サラ・起業に特化した整体塾を主宰。まったくの未経験者を「オンリーワンの整体師」に育てあげることについては、日本一の手腕を持つ。これまでに、50名を超える整体師を輩出。現役の整体師を続けながら、大阪府枚方市、千葉県船橋市を拠点にして後進を育成。また、各地で一般の方に向けたセミナーや体験会を開催し、「心整体法」を伝えている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です